首塚参拝記
2005年も半分以上過ぎた8月21日。
この日に今年初のジョジョ立ちイベントが行われることとなった!
(詳しくはこっち)
そのついでといっては失礼だが、ちょうどこの10日前に
東京都が旧跡に指定している歴史文化財約230件のうち約9割が
「史実の裏付けが乏しい」として指定廃止を視野に入れているという
ニュースもあったこともあり、最悪取り壊しの可能性もあるということで
時期は今しかない!と参拝しに行くことになりました。
しかし…前日出発して名古屋駅でヒマを持て余していると
なぜかリュックからゴキブリが出てきたり
(本を読もうとリュックを開けたら…あれは心臓止まりそうだった)
本来6時着だったはずのバスがなぜか1時間以上前、
それも4時44分に着いたり
(厳密には4時44分に新宿入り。実際バスが停車したのは50分ごろ)
なぜか東京に着いた途端謎の腹痛に襲われたり
(新宿駅トイレに紙があってよかった)
なぜか散々な目にあっているのです。
それに加え2005年8月21日。わたし自身直接の被害はないのですが、新潟で震度5の地震がありました。
あとから考えてみるとこの時点で既に祟りを受けていたのかもしれません。
なにしろ現在でも首塚周りのビルでは首塚にお尻を向けないように
机の配置を決めているのですから。その力やおそろしや。
正直言うと「都会にひっそりと存在する知る人ぞ知る隠れ心霊スポット」
という認識が東京都民内にはあったのかと思っていましたが、
まさかこんなに堂々と標識があったとは…
平将門の墓と呼ばれる所は実はけっこうある(茨城県大和村など)のだが
ココでも千代田区となっているし、
最も有名である所でもあるので
ここに将門公は眠られているという前提でいきます。
将門公を護るかのように置かれている蛙。
蛙には「帰る」という意味がかけられるようになったとかなんとか。
最も有名なアングルですね。
ここで今も東京を護っているのか…
ここに着いたときの感想として、夏だというのに
ひたすら「涼しかった」というのが強く残ってます。
日本ではたぶんそういうのはないと思いますが、
外国では宗教的に重要なところを訪問する際に
ノースリーブ禁止のところも多いので、自分なりの敬意の表し方として
ジャケットを着て訪ねました。
それなのに「涼しかった」!いや「寒かった」と言ってもいいのではないか?
朝も早くから神妙な気持ちになったところだが、
次は将門繋がりということで「平将門」の著者である幸田露伴(本名幸田成行)
の墓参りに行こうと
池上本門寺を訪ねたのだが…
結論からいうとできませんでした。
下調べが足りなかった自分のミスなのですが、
あまりに墓の数が多すぎてどこに露伴の墓が
あるのかが分からなかったのです。
(力道山の墓は「←力道山の墓はこちらです」みたいな感じで
かなり看板が置かれていた)
以下一応行った証拠として写真だけ残しておきます。
「猫って嫌いだよなあ
〜〜っ。ガン飛ばすからなあ
〜〜っ」
(↑それ露伴違いね)
うーむ。この優遇っぷりは…
ちょっと経年劣化してグロテスク。
最後に秋葉原の隣!東京は神田の
神田明神へ。
秋葉原電気街とは全く雰囲気が違う…と言いたいところだが…
ごめんさんざん言われていることなんだろうけど
これだけ言わせて!
「男坂」だと!
男坂下からの図。
「オレはようやくのぼりはじめたばかりだからよ。このはてしなく遠い男坂をよ……」(未完)
はあまりにも有名。
ちなみに神田明神の「かんだ」は、討伐され首を切られた将門の胴体、
つまり「からだ」が変化したものという説もある。
神田明神で祭られている神々。
詳しくは後述するけどいかにも遺体持ってそうじゃないですか。
三つ巴の神紋。
三ノ宮。
ここに公は祭られている。
神田明神参拝を終えた後は秋葉原に戻り
秋葉原立ちとなるわけですが、
やっぱり秋葉原の隣にこういう場所があるのは個人的には違和感。
(地元の人からすれば当然の風景なんだろうけど)
将門公は現在の東京(というか秋葉原)をどう思われているのやら…
おまけ1〜これが私の祟り〜
秋葉原に戻った後、まだ時間が余っていたので
cos-cha
に行きました。
今さっき「将門公は今の東京を〜」なんてこと
言っておきながらなんて野郎だって感じです。
何の説得力もありません。
ココでは当時キャンペーンをやっておりまして、
ホットケーキの早食い競争をしており、勝ったらエンジェルの写真。
負けたらエンジェルからのビンタと一部の人には
負けたほうがオイシイかもしれないというキャンペーンでした。
私自身普段なら勝つ自身ありましたが、朝から続く謎の
腹痛のせいであまり気力が無く、普通にドリンクだけ頼みましたとさ。
(「オマエは負けたほうがオイシイの部類だろ」とか言わないように)
おまけ2〜死体=将門公?〜
ウルトラジャンプに移籍してから急に作風が変わった(と個人的には思う)
スティールボールラン。
作中では現在「聖人の遺体を探す」という展開なのだが、
その聖人が平将門公なんじゃないかという仮説をあえて立ててみた。
(そもそもキリスト教と関係ないとか言わないように)
聖人の一覧を見ると意外と多いな…。
うん。これだけいるんだから一人ぐらい日本人いても問題ないはずだ!
牙(タスク)と足がそこはかとなく似てる!これも引力のなせる業!
ほら大己貴も遺体の一部持ってる!
と、バラバラになった遺体を捜すゲームも実際あったりするわけですが、
ここの最初で記したように、少なくとも将門公の「首」だけが独立して祀られている現状がある。
(少なくともそういう伝承があるのは紛れも無い事実)
いいか…くり返すぜ。
死んだあとにだ!……生きてる時だけじゃあねえ。
ヴァチカンの法王庁には「規定」があり、
死後最低でも二度以上の奇跡の確認がなされた人物を「聖人」という!
だから聖人認定まで数百年も待ったりする。まさに偉大中の偉大な人物を指す。
「千年王国」だ…
1000年以上栄えた国家はこの世界の歴史で
ヴェネツィアと1900年続くヴァチカンだけだ。
(「江戸幕府は250年」とされているが14世紀、ヴァチカンにも教皇庁が
アヴィニョンに移されていた通称「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれた
時期があるのでここでの「千年王国」は
それほど厳密な意味合いを持たない…ことにしておいてください。)
死後の奇跡1
将門公は承平の乱(940年)にて死後、首は京都まで送られ、
都大路に晒されたが3日後に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、
今の東京に落ちた。それが現在の首塚の場所だとされている。
死後の奇跡2
大正12年9月1日。関東大震災にて東京全体が大きな被害を受け、
首塚も含めた一帯が整地されることになったのだが、
その時に塚の上に仮の大蔵庁舎が建てられた。その後
時の大蔵大臣以下大蔵省の役人と工事関係者が死亡した。
当時の役人は祟りを恐れ、結局仮の大蔵庁舎は壊されることとなった。
死後の奇跡3
第二次世界大戦後に、
GHQがが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を整地しよう
とブルドーザーを走らせた時、
そのブルドーザーがひっくり返り運転手が死亡。
その他不審な事故が相次いだため、
結局造成計画を取りやめた。
と、このように死後に複数の奇跡を起こしている。
これをヴァチカンの広場でやれば完璧聖人認定だが、
ヴァチカンから見たら遠い遠い極東の地。日本の東京だというのが残念である。
しかし戦後GHQの支配を退けたという点を見ると、正に関東千年王国の歴史の1ページを
目の当たりにしたと言えよう。
(わしは目の当たりにしてませんが)
940年に没後、第二次世界大戦後までこの恐るべき力を維持し続ける。
国の千年の栄光と力が約束された聖人中の聖人たる資格は十分にあるであろう。
さて、将門公=聖人説のもう一つの根拠だが、
平将門公の子孫に「相馬家」というものがあり、
その相馬家が崇拝している守護神が「妙見」である。
妙見とは、元々は中国の道教の神であり、
なんと北極星および北斗七星を神格化した神なのである!
(色々紆余曲折がありごっちゃになったとか)
なお、公自身も北辰星(北斗七星)を信仰しており、
それが受け継がれたものだと思われる。
(中国における北辰信仰が日本に伝わったものだと思われる)
何の前触れも無く突然北斗七星を作中に出した理由は…!?というわけです。
代々ジョースター家と言えば首筋に星のあざがありますが、今回
現時点ではそのような描写が無い。このあたりも何かにおうな…
さっき「何の前触れも無く」と書いたがありゃウソだ。
ウルトラジャンプ8月号の時点で胸に北斗七星のあざを刻んだ大統領部下がいた。
一応ちゃんと遺体と北斗七星に何かしらの関連性があるという複線は張ってあったのね。
(7つじゃないけど胸にあのマークと言えばそれこそ北斗○拳しか思いつかぬ…)
遺体が9つというのもまた微妙。7つだったらそのまんま。+北極星で8つまでなら関連付けられるのだが…
付け加えると相馬家自身祭礼行事として野生の馬を放し、軍事訓練を行っていた。
そして捕らえた馬を妙見に奉納していたのだ。
これらは現在でも「馬追祭」として残っているが、その起源は平将門自身が野生の馬を敵に見立てて軍事訓練をしていたことに由来する。
さらにヨーロッパ諸国では昔から北斗七星を馬車として見立てていた地方も多かったとか。
特に北欧に限定すると「オーディンの乗る馬車」である。
ジャイロの乗っている馬は「ヴァルキリー」。戦死者たちを宮殿ヴァルハラに運ぶ者の名である。
北斗七星(の方向にある遺体)に向かって疾走する姿は正にヴァルキリーそのものではないか。
あと北斗七星は大ぐま座の一部であるが、SBR序盤でジャイロがレース準備をするシーンで
あえてくまのぬいぐるみを持っていくシーンがあったがまさか…
おおぐま=北斗七星!
このぬいぐるみも実は複線…だったのか!?
SBRも(基本的に)馬を使った大陸横断レース。
ここまで「馬」に縁があるのも偶然ではなかろう。
うん。きっとそうだ。そうに違いない。
(この文は神田明神資料館に書かれていたことを思い出しながら書いたものです)
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